とある大学院生のブログ

音声学の研究室に所属しながら教育工学の真似事をやってます

音と音素

現在とある共同研究の関係で中国語の音声を扱っている。

その関係で先日研究室内で発表した際に言われ、気になっていることとして

「音は存在するが、音素は概念なのでピンインの音(おと)を表記するのであれば音を示すIPAを用いるべきだ」ということ。

 

音素表記よりIPAを用いることが妥当だ、ということは納得できるが、前半の

「音は存在するが、音素は概念」という部分がどうも納得いかない。

 

実際に世の中には音声が溢れていて、それが存在するということは理解ができるが、音声を音に切り分け、そこに符合を割り当てた場合、それら一つ一つが独立して存在すると表現するのはいささか乱暴ではないのか。音声は連続的なものであり、個別の音の境界は曖昧なものであるはず。

例えば有声と無声の違いを明確にある境界で区分できるかと問われれば個人差などもあり、それは不可能と言わざるをえないだろう。

大きな区分としてIPAを利用し、それぞれの音を分けるという行為はあくまで便宜的なものであり、それは音素の扱いとあまり変わらないのではないのか。

 

IPAを用いた方がより普遍的な音声表記に役立つ、までなら十分納得できるんだけれども・・・。

なんとなくもやもやしている最近のトピックでした。